概要
建長5年(1253年)4月28日に清澄山で立教開宗した日蓮聖人は布教の為、鎌倉へ向かう途中、笠森観音堂で宿泊。その夜5月11日、夢のお告げを受けた藻原の領主斎藤兼綱は近郷の須田五郎と共に日蓮聖人を笠森に迎えに行った。日蓮聖人は当地にて法華経とお題目の修行をお説きになられ、斎藤兼綱一族は、最初の帰依者となったことから「日蓮門下・お題目初唱の霊場」といわれ、1276年邸内に法華堂を建てられたのが寺の始まりとされているんだ。
建長5年(1253年)4月28日に清澄山で立教開宗した日蓮聖人は布教の為、鎌倉へ向かう途中、笠森観音堂で宿泊。その夜5月11日、夢のお告げを受けた藻原の領主斎藤兼綱は近郷の須田五郎と共に日蓮聖人を笠森に迎えに行った。日蓮聖人は当地にて法華経とお題目の修行をお説きになられ、斎藤兼綱一族は、最初の帰依者となったことから「日蓮門下・お題目初唱の霊場」といわれ、1276年邸内に法華堂を建てられたのが寺の始まりとされているんだ。
本堂に向かって右に、高さ丈六(4.85m)の石造釈迦如来立像が立っています。元禄4年(1691年)の柵で、市内最大の石像です。
茂原市Webサイト身延山で病を得た日蓮聖人は、弘安5年(1282年)病気療養のため山を下り、名馬栗鹿毛に乗って池上の本門寺までたどり着きましたが、とうとうここでお亡くなりになった。栗鹿毛は、日蓮の遺言によって茂原の斎藤兼綱にあずけられ、余生を全うして死んだ栗鹿毛を祀ったのが御塚観音堂なんだよ。日蓮の乗った鞍は、寺宝として保管されているんだ。
■稚児行列
稚児行列は、釈迦の生誕を祝う法会「花まつり」の日、お稚児さんが茂原公園内を練り歩くもの。4月初旬の日曜日に開催されるよ。
■御会式
藻原寺では節分会として追儺式法要の後、大堂前庭の特設ステージの上から年男・年女が参加する豆まきが行われるよ。