歴史・文化

「歴史・文化」を含む観光スポット一覧

円立寺の菩提樹

円立寺の菩提樹

この菩提樹はいつの頃からか一人の千願寺僧が寺を訪れ、携えて来た1本の杖を帰り際に門前へ突き刺していったものが、根付いて枝葉を出し、次第に成長し大樹になったと伝えられているよ。また、樹はシナノキ科に属する落葉高木で、枝分かれしてよく茂り、葉の先端裏側に灰褐色の毛が密生し、球形の身を結ぶ変わった習性で樹肌や葉で疣(いぼ)をこすると不思議によく癒ると言われているよ。
白鳥庫吉生誕の地

白鳥庫吉生誕の地

東洋史の開拓者として世界的に有名な白鳥庫吉は長谷で誕生。千葉中学校に進学した庫吉は那珂通世(後千葉師範学校長)、三宅米吉(後帝室博物館総長)などの良師を得て、東洋史への目が開かれたと言われているよ。その論文や著書は『匈奴の起源』『満州歴史地理』『西域史研究』など極めて多く、庫吉の創設した東洋文庫は今でも東洋史研究者にとって貴重なものとなっているよ。
お馨さん(本名:石倉よし)の墓

お馨さん(本名:石倉よし)の墓

明治の文豪徳冨蘆花の短編「梅一輪」の主人公お馨さんの墓。明治・大正期にかけて活躍した文豪徳冨蘆花の短編「梅一輪」の主人公お馨さん(本名:石倉よし)のお墓が箕輪妙楽寺の石倉家の墓地にあり、市指定史跡として保存されているよ。
東條一堂生誕の地

東條一堂生誕の地

東條一堂は安永7年(1778年)八幡原村に生まれ、父母は一堂を勉強させるために
江戸へ転居。天明7年(1787年)亀田鵬斎の門に入って古学を、寛政5年(1793年)
京都で儒学者皆川淇園に学び、江戸に帰ると29歳の頃から家塾を開きながらも勉学
を続け大儒学者となったんだよ。文化13年(1813年)に湯島聖堂の隣に移り、文政
4年(1821年)には、神田お玉ヶ池に移転して「瑤池塾」と改名。門人3千余人、そ
の中には、清川八郎を始めとする多くの志士や「近聖楼」高橋喜惣治などの郷土の
有名人もいたんだ。
真名天照大神社社叢

真名天照大神社社叢

西部丘陵地帯に位置し、スダジイを中心とした森林であるとともに、コクランが自生するなど貴重な自然林となっているよ。
石神貝塚

石神貝塚

石神神社参道の途中と社殿の東南隅に貝塚がある。明治25年(1892年)夏、鳥井龍蔵博士が学生であったころ付近の社寺を調査し、石神神社の境内で時の破片を発見。これを雑誌に発表し学会から注目を浴びたんだ。昭和37年(1962年)夏、地元石神地区、市教育委員会後援によって東金高等学校考古学クラブ員により発掘調査され、多数の出土品を得たんだ。(茂原市立美術館・郷土資料館展示)
真名の上人塚

真名の上人塚

上人塚は真名カントリークラブのクラブハウスの南東端で、標高126mのところに位置。戦国時代、土気城主酒井小太郎定隆の改宗令のおり、この地の某寺の住職が改宗に応じないため、捕らえられてこの地に生き埋めにされた塚、あるいは真名村出身の学德高い名僧が入滅後葬られた塚であるとの伝説もあり。しかし外形的には古墳時代の山上方墳とも考えられているが、未調査のため実態は不明。
大沢の大椎

大沢の大椎

地元に住んでいる人が、「茂原に住んでいる人も知らない、穴場スポット」といわれるほどのおすすめの場所。大沢新田、高石家の門前にあり樹齢約500年と推定されるスダジイ(ブナ科シイ属)の古木で、根周り12m、大人5〜6人が入れるうろがあるんだ。目どおり7m、高さ12m。地上4mの処から三又に分かれ枝葉はこんもりと繁茂し、みみずくがここを住処としているほほえましい光景も見られるよ。古木の毅然たる風格は時代の重みを物語っているよ。
蓮福寺の大公孫樹

蓮福寺の大公孫樹

樹齢約400年、目通り3.7m、枝葉は四方に繁茂し、幹の中央に樫(かし)の寄生木(やどりぎ)を抱え、枝間18mに及ぶ古木だよ。夏は細やかな緑陰を憩いの場に、秋深まれば樹下金繍を敷き、野だて、俳会の催しなど、地元との縁は浅からぬものがあるんだ。この公孫樹は、蓮福寺の開祖・日遊上人によって植えられたものと伝えられているんだよ。
渋谷の大モミジ

渋谷の大モミジ

渋谷の伊弉子(いさご)神社境内では大きな山モミジがみれるよ。この樹はイロハモミジ(別称:タカオカエデ)で、その特徴は葉が5〜7指に深裂し、新枝の枝の先に径3〜6cmの散房状の花房をつけるよ。大モミジ自体は伊弉子神社境内西側の高土手上にあるよ。目通り2.2m、樹高約9mで樹齢は不明。通常のモミジは幹が数多く分枝して傘のように枝を広げるけど、このモミジは分枝が少なくて、まっすぐ天空に伸びているという点で、とても珍しいんだよ。

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