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長生の森公園

長生の森公園

自然の地形や豊かな緑を保全しながら、野球場などのスポーツ施設や広場・散策路などが整備され、あふれる自然の中でスポーツ・レクリエーション・自然散策を満喫できる公園です。
下永吉の庚申供養塔

下永吉の庚申供養塔

下永吉の庚申供養塔は高さ75.5cm、文久4年(1864年)作の新しいものですが、庚申の本尊である六臂の青面金剛が、宝剣と弓矢を持ち、足下に邪鬼を踏む図柄で、彫刻も優れています。台石には「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿が配してある典型的な庚申等です。江戸時代後期の庚申塔は「庚申」の文字のみで表されているものが多く、この塔のように造作の揃ったものは市内に少なく貴重です。
千葉眼科記念館

千葉眼科記念館

千葉眼科医院は、寛政6年(1794年)以来七代200年に及ぶ歴史をもち、旧診療棟が眼科記念館となっています。各種診療器具、古文書など貴重な資料が展示・保存されています。入口右側には、100年以上の風雪に耐えた「永吉の眼科」の看板、中に入ると土間と4畳半の待合室があります。待合室は昭和17年頃一部手直しされ、その後復元工事が行われ、現在では開業時のまま復元されています。
茂原昇天教会

茂原昇天教会

昭和初期の端正な協会建築で、当初の姿をそのまま伝える趣きある建築物です。明治30年に茂原南原地区にある住宅に講義所が開かれて伝道が始められ、その後昭和8年新聖堂が落成。昇天協会と改正し、茂原昇天教会となり現在に至っています。貴重な建築様式など国登録有形文化財として登録されています。
円立寺の菩提樹

円立寺の菩提樹

この菩提樹はいつの頃からか一人の千願寺僧が寺を訪れ、携えて来た1本の杖を帰り際に門前へ突き刺していったものが、根付いて枝葉を出し、次第に成長し大樹になったと伝えられています。樹はシナノキ科に属する落葉高木で、枝分かれしてよく茂り、葉の先端裏側に灰褐色の毛が密生し、球形の身を結ぶ変わった習性で樹肌や葉で疣(いぼ)をこすると不思議によく癒ると言われています。
白鳥庫吉生誕の地

白鳥庫吉生誕の地

東洋史の開拓者として世界的に有名な白鳥庫吉は長谷で生まれました。千葉中学校に進学した庫吉は那珂通世(後千葉師範学校長)、三宅米吉(後帝室博物館総長)などの良師を得て、東洋史への目が開かれたと言われています。その論文や著書は『匈奴の起源』『満州歴史地理』『西域史研究』など極めて多く、庫吉の創設した東洋文庫は今でも東洋史研究者にとって貴重なものとなっています。
お馨さん(本名:石倉よし)の墓

お馨さん(本名:石倉よし)の墓

明治の文豪徳冨蘆花の短編「梅一輪」の主人公お馨さんの墓です。明治・大正期にかけて活躍した文豪徳冨蘆花の短編「梅一輪」の主人公お馨さん(本名:石倉よし)のお墓が箕輪妙楽寺の石倉家の墓地にあり、市指定史跡として保存されています。
東條一堂生誕の地

東條一堂生誕の地

東條一堂は安永7年(1778年)八幡原村に生まれ、父母は一堂を勉強させるために江戸へ転居。天明7年(1787年)亀田鵬斎の門に入って古学を、寛政5年(1793年)京都で儒学者皆川淇園に学び、江戸に帰ると29歳の頃から家塾を開きながらも勉学を続け大儒学者となりました。文化13年(1813年)に湯島聖堂の隣に移り、文政4年(1821年)には、神田お玉ヶ池に移転して「瑤池塾」と改名。門人3千余人、その中には、清川八郎を始めとする多くの志士や「近聖楼」高橋喜惣治などの郷土の有名人もいました。
真名天照大神社社叢

真名天照大神社社叢

西部丘陵地帯に位置し、スダジイを中心とした森林であるとともに、コクランが自生するなど貴重な自然林となっています。
石神貝塚

石神貝塚

石神神社参道の途中と社殿の東南隅に貝塚があります。明治25年(1892年)夏、鳥井龍蔵博士が学生であったころ付近の社寺を調査し、石神神社の境内で時の破片を発見。これを雑誌に発表し学会から注目されていました。昭和37年(1962年)夏、地元石神地区、市教育委員会後援によって東金高等学校考古学クラブ員により発掘調査され、多数の出土品を得ました。(茂原市立美術館・郷土資料館展示)
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