歴史・文化

「歴史・文化」を含む観光スポット一覧

茂原市立美術館・郷土資料館

茂原市立美術館・郷土資料館

全国的にも珍しい「美術館」と「郷土資料館」の複合施設。
茂原公園を散歩しながら、気軽に芸術文化に親しむことができるよ。
美術部門では、郷土ゆかりの作家を中心とした作品や資料などを収集し展示。
市民の作品展などの展覧会などを年1〜2回開催しているよ。
郷土部門では、茂原市の資料を考古・民族・歴史の3部門を中心として収集。
調査研究及び保存に努めるとともに展示により一般公開しているよ。
藻原寺(そうげんじ)

藻原寺(そうげんじ)

JR茂原駅徒歩30分。茂原駅より長南方面行きバス7分、藻原寺バス停下車徒歩5分。日蓮宗の名刹。身延山久遠寺の系統で、東身延と称されているよ。そして、本堂唐門向拝彫刻は市指定の文化財だよ。
橘樹神社(たちばなじんじゃ)

橘樹神社(たちばなじんじゃ)

JR本納駅より徒歩10分。祭神は弟橘媛。
橘の木を媛の墓標としたのが橘樹神社の由来とされているよ。
毎年体育の日前日に例大祭があり、3年に一度神輿と山車が町内を練り歩くんだ。
また、橘樹神社社叢(しゃそう)は市の天然記念物となっているよ。
地元の人は「初詣も人気だよ、橘樹神社は。」というほど。
荻生徂徠勉学の地/荻生徂徠母の墓

荻生徂徠勉学の地/荻生徂徠母の墓

江戸時代の大儒学者、荻生徂徠の碑が茂原にはあるんだよ。延宝7年(1679)に父・方庵が主君綱吉の怒りにふれて江戸を追放され、一家で本納村(現:茂原市本納)に移り住み、徂徠は青年期の13年間を本納で勉学に励み、その後江戸にもどって儒学者としての道を開いたんだ。
鷲山寺(じゅせんじ)

鷲山寺(じゅせんじ)

藻原寺の西隣に端正な大屋根をそびえさせているのが、八品派(本門法華宗)の大本山鷲山寺。江戸時代には断食、水浴、信仰によって万病を癒す寺として有名だったんだよ。茂原駅よりバス7分、藻原寺下車徒歩5分。
本納城跡

本納城跡

「本城山から見える景色は素晴らしい。」との声が多数あがる本納城跡。室町末期(1529年)造営の山城の遺構。房州里見の支城。天正18年(1590年)に徳川家の旗本の知行地となり廃城。本、中、下城址、削壁、抜穴、袋狭間、狼火台址等々、中世山城の遺構を多く今もとどめている貴重な城跡。「蓮福寺史跡」として市指定の史跡となっているよ。
掩体壕

掩体壕

掩体壕は戦争中に作られた施設で、敵機の攻撃から飛行機を隠し、守るためのもの。
大型のものでは面積365平方メートル、高さ6.7mあるよ。近辺に10基残る掩体壕のうち、写真は茂原市が管理しているものだよ。「実際に入ってみると、中ってこんなに広いんだ。」と思うほど。
下永吉の庚申供養塔

下永吉の庚申供養塔

下永吉の庚申供養塔は高さ75.5cm、文久4年(1864年)作の新しいものだけど、庚申の本尊である六臂の青面金剛が、宝剣と弓矢を持ち、足下に邪鬼を踏む図柄で、彫刻も優れているよ。台石には「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿が配してある典型的な庚申等だよ。江戸時代後期の庚申塔は「庚申」の文字のみで表されているものが多く、この塔のように造作の揃ったものは市内に少なく貴重なものだよ。
千葉眼科記念館

千葉眼科記念館

千葉眼科医院は、寛政6年(1794年)以来七代200年に及ぶ歴史をもち、旧診療棟が眼科記念館となっているよ。この場所には各種診療器具、古文書など貴重な資料が展示・保存されているよ。入口右側には、100年以上の風雪に耐えた「永吉の眼科」の看板、中に入ると土間と4畳半の待合室があって、待合室は昭和17年頃一部手直しされ、その後復元工事が行われ、現在では開業時のまま復元されているよ。
茂原昇天教会

茂原昇天教会

昭和初期の端正な協会建築で、当初の姿をそのまま伝える趣きある建築物。明治30年に茂原南原地区にある住宅に講義所が開かれて伝道が始められ、その後昭和8年新聖堂が落成。昇天協会と改正し、茂原昇天教会となり現在に至っているんだ。昭和初期のレトロなたたずまいがよいなどの声も。貴重な建築様式など国登録有形文化財として登録されているよ。

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